BSN新潟放送 メディア本部報道制作局 報道部長 酒田暁子(第7話) 20年前と今とを比べると情報の発信や情報収集の方法が各段に変化を遂げています。 中越大震災が発生した際は携帯電話はあったものの 今のようなSNSや無料の通話アプリのLINEもありませんでした。 当時は夕方に発災し、夜が更けていきました。...
大阪大学大学院人間科学研究科 准教授 宮本匠(第7話) 中越の復興といえば、美味しいものでしょう。 もちろん、ヤマの食べ物もおいしかったのですが、 しがない学生だった私は、ご馳走してもらうことも多く、それも思い出です。 中越復興市民会議のスタッフだったときは、 事務局長だった稲垣さんに、ちょいちょいごちそうになりました。...
小千谷市にぎわい交流課 地域づくり支援員 石曽根 徹(第8話) 元小千谷市地域復興支援員(小千谷市産業開発センター所属) 造園業として働く中、転機が訪れた。 新潟県中越大震災復興基金事業が開始され、 地域復興支援制度もスタートすることとなる。 小千谷市では先行して、地域経済の復興を目指して...
長岡市国際交流センター長 羽賀友信(第6話) 新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行) ある国はガセネタがすごかったんですね。 当時、日本とあんまり関係が良くなくてね。 その国の2人がガセネタ飛ばしたことで大揉めに揉めたんですよ。 人権問題にまで発展しました。 というのも、震災時に図書館に集まったときに...
長岡市国際交流センター長 羽賀友信(第5話) 新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行) 当時、地震体験の無かった国は、中国とオーストラリア、ブラジル。 特にブラジルはカソリックなので、最後の審判が来たって何人かから電話もらったんですね。 「羽賀さん、世界の終わりなのか」...
おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第4話) (中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任) ありがたいことに一番多いときで 40台を超える給水車が応援というか駆けつけてくださいました。 災害対策本部には「△△市の水道局の方はいつからいつまで作業ができます」と。 例えば「1週間いることができます」とか...
中越市民防災安全士会 関田孝史(第3話) (震災発災当時は、小千谷市職員 議会事務局) 議員の自発的な防災活動として出来ることは何か。 そういう気持ちで議論したにも関わらず、 結果として申し合わせたものは、以下のことであった。 その1 各議員が個々具体の災害対策で気づいたことは、 すべて議長(議会事務局)へ連絡することとし、...
長岡市社会福祉協議会 本間和也(第10話) (①からの続き) 私は、とっさにリンゴの木を思い浮かべ、ゆっくりとリンゴの木と実を書き終えた。 すると、医師が言葉を発した。 「本間さん、リンゴの実は、木から取らないでいると、 いずれは地面に落ちて沈んでしまうよね。 これは今の君の心をそのまま映し出しているよ。...
長岡工業高等専門学校 非常勤講師 五十嵐一浩(第9話)(前三条市立第四中学校 校長) 中越地震で大きな被害を受けた太田小・中学校は、校舎の使用ができなくなり、 最終的に市内の前川小学校の校舎を間借りしました。 移転先が決まるまでの間、他の小学校の校舎の一部を お借りしながら流浪の民のような状態でした。...
福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第13話) (元中越メモリアル回廊担当職員) 旧国道291号が廃道処理された場所があります。 道路が斜面ごと谷に滑り落ち、道路復旧がかなり難しい状況となり、 山古志トンネルを新たに開通させました。 トンネルより先の集落の帰村に時間がかかったのも、 この大工事があったからとのことです。...