公益社団法人中越防災安全推進機構 事務局長 諸橋和行 1年間にわたり、「中越大震災20年メールマガジン」をご愛読いただき、 誠にありがとうございました。 今回の配信をもって、このメールマガジンの最終号とさせていただきます。 私の思いつきで試行錯誤の中始めたメールマガジンは、...
長岡市国際交流センター長 羽賀友信(第11話)新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局編集 必ず災害が起きたら、やっぱりその洗い出しをして次に手渡す。 震災復興と戦災復興って同じなんです。 長岡は戊辰戦争で戦災復興を成し遂げ、 第二次世界大戦の長岡空襲からも戦災復興を成し遂げた。 もともとそういう素地があり、米百俵の文化もあるんです。...
長岡市国際交流センター長 羽賀友信(第10話)新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局編集 必ず災害が起きたら、やっぱりその洗い出しをして次に手渡す。 これがより良き社会のために必要な防災の基本になってくる。 暗黙知として僕らの体験だけにしてはいけないっていうのはすごく大事なことですね。 やっぱり生き物なんです、災害はね。...
長岡市国際交流センター長 羽賀友信(第9話) 新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局編集 やさしい日本語を弘前大学の佐藤和之先生が作ってはいたけども、 神戸(阪神淡路大震災)では使われてないんです。 ここ中越で初めて使ったんですよ。 日本人は使っちゃいけない単語を必ず災害で使っていて。...
関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第3話) 長岡への移動の車中で、震災当日の様々な体験談を聞かせてもらった。 中には、7月の水害支援の恩返しとして、 10月20日に発生した兵庫県豊岡市の支援に入ろうとしたが中越地震が発生して、 とんぼ返りで新潟に戻ってきた人も。...
関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第2話) 電話の主は、同年7月に発生した新潟・福井集中豪雨の水害ボランティアセンター (以下VC)でお世話になった方だった。 頼りにしてくれたのだから役に立つ情報を、と思ったものの、 相手が語る苦悩をただ聞くことしかできなかった。...
滋賀大学大学院教育学研究科 高度教職実践専攻 藤岡達也(第2話) 1995年阪神淡路大震災でもボランティアで多くの被災者の方と関わり、 その中で、まさか神戸で、という言葉を何度も耳にした。 中越大震災でも、まさか新潟県で、という人々の驚きの声も聞いた。 地殻変動の著しい日本列島において、地震から免れている地域はない。...
滋賀大学大学院教育学研究科 高度教職実践専攻 藤岡達也(第1話) 中越大震災が発生した2004年は、新潟県だけでなく、 国内外の人々にとっても自然災害に対する認識が変わらざるを得ない年であった。 ここでも何人かの方が記載されている、同年7月に発生し、県内だけでも16名の 犠牲者(福島県を合わせると17名)を生じた新潟・福島豪雨の衝撃も大きかった。...
元新潟県県民生活・環境部 震災復興支援課長 丸山由明(第11話) 2005年1月4日「御用始め」の日。 1月1日付けの異動辞令が交付され、震災復興支援課が始動。 とは言え、当然ながら先の展望は全く見えない。 まずは市町村、振興局、北陸整備局や内閣府防災担当などへの挨拶回りで、 復興支援課の存在をアピール。...
元新潟県県民生活・環境部 震災復興支援課長 丸山由明(第10話) 2004年も12月になり中越はまもなく雪の季節を迎える。 「雪が降る前に」そんな思いで63団地3,460戸の仮設住宅の建設が急ピッチで進んでいた。 12月15日に全戸完成し、入居がほぼ完了する頃、 待っていてくれたかのように雪が降り始めた。...