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372 「中越センター」の立上げ

関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第3話)

 
長岡への移動の車中で、震災当日の様々な体験談を聞かせてもらった。
中には、7月の水害支援の恩返しとして、
10月20日に発生した兵庫県豊岡市の支援に入ろうとしたが中越地震が発生して、
とんぼ返りで新潟に戻ってきた人も。
災害の経験が、被災地同士をつなぎ、支援を生み出す力になっていることを実感した。

「中越センター」の最初の課題は、余震が多発する中、
赤紙・黄紙(応急危険度判定で危険・要注意)が貼られた家に
ボランティアが入って活動してしまう状況をどうするか、だった。
赤紙が張られた家にも住民は住み続けているので、災害VCで活動を制止しても限界があった。
他方、被害判定調査の前に、ボランティアが屋内の片付けや応急処置をしてしまうと、
罹災証明書が出なくなり、支援や給付が受けられなくなる事態も想定された。

活動中に余震で家が壊れて怪我人が出たり、被災者から訴えられたら、
ボランティア活動の機運は一気に冷え込み、活動の制約も厳しくなってしまうだろう。
とはいえ正解も無いし、市町村の災害VCに判断を任せて責任を負ってもらうのもどうか。
議論の結果、中越全体で屋内片付けのガイドラインを作り、
新潟県社協に通知してもらう形で、各市町村に活用してもらうことになった。
今思えば「災害中間支援」の先駆けだったかもしれない。

私自身は、ただ新潟・中越の人たちの人をつなぎ、
問題を解決していく力に驚かされ続けるだけだった。
神戸に戻ってすぐ高熱で寝込んだが、あれは知恵熱だったかもしれない。

関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第3話)