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371 新潟県庁から長岡へ

関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第2話)

 
電話の主は、同年7月に発生した新潟・福井集中豪雨の水害ボランティアセンター
(以下VC)でお世話になった方だった。
頼りにしてくれたのだから役に立つ情報を、と思ったものの、
相手が語る苦悩をただ聞くことしかできなかった。
とりあえず避難所の開設から閉鎖までのプロセスをイメージできるような資料を探してFAXしたが、
あの混乱の中、資料が役に立ったとは思えない。

あと一日で研修が終わるという日になって、「明日から新潟県に行ってこい」という指示が出た。
当時、被災地から離れた新潟県庁での災害対策本部運営の難しさが課題になっていたそうだが、
新潟市内に設定された「災害ボランティア本部」でも同じことが課題になっていたようだった。
何の準備もない状態で役に立てないと困惑したが、上司も私の不器用さを理解していて
「災害ボランティア関係だけ対応してこい」とのことだった。

しかし新潟県庁に行ってみると課題山積だった。
避難所から区長を経由して被災市町村から上がってくる情報(区長さんは我慢して問題ないと言う)と、
災害VC経由で上がってくる情報(現場でボランティアが見聞きした被災者の困りごと)に
ずれが生じており、組織的な交通整理が必要になっていた。
また被災地から離れた「災害ボランティア本部」の限界を補う現場に近い支援拠点の設置も必要だった。

ただ、4カ月前に水害対応を経験した支援者が再結集していたこともあり、
課題は次々に対処されていった。
1両日の間に、新潟県の「災害ボランティア本部」の「出先」となる「中越センター」を
長岡市に設置すること、場所は青年会議所が提供すること、
その拠点の機能と組織体制がどんどん決まっていった。
私も「中越センター」の担い手となるメンバーの車で長岡に移動することになった。

関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科 菅 磨志保(第2話)