滋賀大学大学院教育学研究科 高度教職実践専攻 藤岡達也(第1話)
中越大震災が発生した2004年は、新潟県だけでなく、
国内外の人々にとっても自然災害に対する認識が変わらざるを得ない年であった。
ここでも何人かの方が記載されている、同年7月に発生し、県内だけでも16名の
犠牲者(福島県を合わせると17名)を生じた新潟・福島豪雨の衝撃も大きかった。
この年は、その後も福井豪雨など、国内で10件を超える近年まれに見る大規模な水害が発生した。
また中越大震災の約1か月後に生じたスマトラ沖地震・インド洋津波では
犠牲者数が20万名を超え、その翌月2005年1月、兵庫県神戸市で開催された
第2回国連防災世界会議が世界中から注目を浴びることにつながった。
同時に2005年より,日本から提案された「国連持続可能な開発のための教育の10年」が
「兵庫行動枠組」(2015年第3回国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組2015-2030」
に引き継がれている)と連動して実施された。
これらを反映して新潟県内でも見附市(当時:松井謙太学校教育課長)等をはじめ、
防災・減災をユネスコスクールとして取り組んでいる学校も数多く見られた。
現在のSDGs11のゴール「住み続けられるまちづくりを」は
災害に強いまちづくりであることも実感する。
当時、自分は上越教育大学に勤めており、被災地の学校からも要望があったため、
学生ボランティアの活動を大学として組織的に取り組んだ。
後になって考えると新潟福島豪雨の教訓から中越大震災、
そして2007年の中越沖地震での学校ボランティアは、一連のものであったことが理解できた。
学校防災の在り方を根本的に捉え直す機会となったのは、述べるまでもない。
さらに中越大震災では自衛隊高田連隊の方に被災状況を現地で案内いただき、
中山間地における大規模な斜面崩壊、崖崩れの想像を絶する状況に言葉がでなかった。
1995年阪神淡路大震災を経験した時は、沖積平野における断層型地震の凄まじさを痛感したが、
中山間部における活断層型地震の規模も中越大震災と名付けられるほどの自然の営力を目の当たりにした。
しかし、その中でも自然と共に生きていく多くの人達の強さと、人と人とのつながり、暖かさを実感した。
国内外の人々にとっても自然災害に対する認識が変わらざるを得ない年であった。
ここでも何人かの方が記載されている、同年7月に発生し、県内だけでも16名の
犠牲者(福島県を合わせると17名)を生じた新潟・福島豪雨の衝撃も大きかった。
この年は、その後も福井豪雨など、国内で10件を超える近年まれに見る大規模な水害が発生した。
また中越大震災の約1か月後に生じたスマトラ沖地震・インド洋津波では
犠牲者数が20万名を超え、その翌月2005年1月、兵庫県神戸市で開催された
第2回国連防災世界会議が世界中から注目を浴びることにつながった。
同時に2005年より,日本から提案された「国連持続可能な開発のための教育の10年」が
「兵庫行動枠組」(2015年第3回国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組2015-2030」
に引き継がれている)と連動して実施された。
これらを反映して新潟県内でも見附市(当時:松井謙太学校教育課長)等をはじめ、
防災・減災をユネスコスクールとして取り組んでいる学校も数多く見られた。
現在のSDGs11のゴール「住み続けられるまちづくりを」は
災害に強いまちづくりであることも実感する。
当時、自分は上越教育大学に勤めており、被災地の学校からも要望があったため、
学生ボランティアの活動を大学として組織的に取り組んだ。
後になって考えると新潟福島豪雨の教訓から中越大震災、
そして2007年の中越沖地震での学校ボランティアは、一連のものであったことが理解できた。
学校防災の在り方を根本的に捉え直す機会となったのは、述べるまでもない。
さらに中越大震災では自衛隊高田連隊の方に被災状況を現地で案内いただき、
中山間地における大規模な斜面崩壊、崖崩れの想像を絶する状況に言葉がでなかった。
1995年阪神淡路大震災を経験した時は、沖積平野における断層型地震の凄まじさを痛感したが、
中山間部における活断層型地震の規模も中越大震災と名付けられるほどの自然の営力を目の当たりにした。
しかし、その中でも自然と共に生きていく多くの人達の強さと、人と人とのつながり、暖かさを実感した。
滋賀大学大学院教育学研究科 高度教職実践専攻 藤岡達也(第1話)