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366 中越地震から30年後へジャンプする、明日がその第一歩!

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第19話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)

 
2024年10月23日、中越大震災から20年目が経ちました。
震災からどのように復興するのか。
その復興計画は、震災から立ち上がるホップの3年、
復興を本格化するステップの3年、
新たな発展を目指すジャンプの4年の10年計画で進めるとしました。

その目標は、復興に失敗して10年後にこんな中越になってはいけない地域像でなく、
10年後にこんな中越にしたい地域像を掲げて、
新潟県・被災市町村と被災者の皆さんが力と知恵を出し合って取り組みました。
その行政と被災者の中間で復興支援をさせていただいたのが、
新潟県中越大震災復興基金で設立された中越防災安全推進機構でした。

行政の道路整備や集落整備などの公共事業と住宅再建など
被災者一人一人の復興事業はほぼ6年で完了しました。
この復興はまた、平成の大合併で多くの被災自治体が長岡市となった
新しい行政体制の中で、さまざまな地域づくりが発展期の取り組みでした。
被災が厳しかった集落には若い復興支援員がかかわり続け、
被災された皆さんとともに、人口は減っても多様なにぎわいが取り戻されていきました。

「震災のバネ」という考え方があります。
それは阪神・淡路大震災(1995)の復興から出されたもので、
不幸な出来事の震災だが、震災を被ったがゆえに
震災がなければ全くできなかった地域づくりができた。
それは“震災をバネにして新たな地域社会づくりに取り組めたからである”
という考え方でした。まさに震災から10年後の中越もそんな姿でした。

震災を契機に多くのボランティアが中越を支援いただき、
その縁でその後も繰り返し中越を訪れてくださいました。
そして、中越大震災からの20年目は復興支援から地域支援として、
新たに首都圏などから大学生が中越に長期滞在して、
さまざまに地域に学び体験学習する“いナカレッジ”の取り組みが本格化し、
さらに卒業後に移住され、何人分かの仕事や活動に取り組み、
結婚されて、お子さんも生まれて・・・・。

日本の全人口が減少する時代になった中越地震の20年間。
その傾向が高まる次の10年間。
“震災のバネ”を持っている中越では、明日から始まる10年間が、
改めて日本の地域モデルとなる中越大震災30年に向けての第一歩です。
私ども中越防災安全推進機構も地域の皆さまとともに歩ませていただきたいと思っています。

このメルマガは多くの皆さまとともにこの1年間、毎日発信できました。
でも発信しきれなかった多くの投稿をいただいていますので、
このメルマガを「続メルマガ」として、しばらく延長します(1週間程度)。
皆さんとともに、30年目に向かってジャンプしましょう!
ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第19話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)