和太鼓奏者 坂牧颯人(第5話)
六日町での生活は快適でした。
実家の家族も含めると14人での生活。
前から泊まりで遊びにいったりしていたのでそんな感覚でした。
テレビでは山古志の状況や避難所での生活が報道されていて、
大人達が深刻そうな顔をして見ていたのを覚えています。
兄たちがどうかはわかりませんが、僕はそんなことは気にせず、
秋休みだと思って満喫していました。
遊んでいたゲームやおもちゃは全部山古志の家の中。
だからと言って退屈していたかというとそんな事はなかったです。
叔父に遊んでもらったり、両親と遊んだり、兄や弟と遊んだり。
大人はみんな優しかったですし、なんでもしてくれた様な気がします。
あっという間に時間は過ぎました。
これは後日談みたいなものですが、
最初、避難生活は一週間くらいだと聞いていました。
父にも聞いてみたんですが、親たちの気休めの一言ではなく、
本当にそんな話があったそうです。
それがもう一週間、いや一ヶ月とみるみるうちに期限が伸びていき、
そして"いつ帰れるか、本当に帰れるかわからない"となったようです。
そんなことは知りもしない坂牧少年。
避難してから一週間くらいたった頃、両親から転校の話をされました。
一ヶ月しか行かないのに学校行くの?と思ったのを覚えています。
まあ暇だし良いよ!と軽い感じで僕たちは大巻小学校に転校しました。
実家の家族も含めると14人での生活。
前から泊まりで遊びにいったりしていたのでそんな感覚でした。
テレビでは山古志の状況や避難所での生活が報道されていて、
大人達が深刻そうな顔をして見ていたのを覚えています。
兄たちがどうかはわかりませんが、僕はそんなことは気にせず、
秋休みだと思って満喫していました。
遊んでいたゲームやおもちゃは全部山古志の家の中。
だからと言って退屈していたかというとそんな事はなかったです。
叔父に遊んでもらったり、両親と遊んだり、兄や弟と遊んだり。
大人はみんな優しかったですし、なんでもしてくれた様な気がします。
あっという間に時間は過ぎました。
これは後日談みたいなものですが、
最初、避難生活は一週間くらいだと聞いていました。
父にも聞いてみたんですが、親たちの気休めの一言ではなく、
本当にそんな話があったそうです。
それがもう一週間、いや一ヶ月とみるみるうちに期限が伸びていき、
そして"いつ帰れるか、本当に帰れるかわからない"となったようです。
そんなことは知りもしない坂牧少年。
避難してから一週間くらいたった頃、両親から転校の話をされました。
一ヶ月しか行かないのに学校行くの?と思ったのを覚えています。
まあ暇だし良いよ!と軽い感じで僕たちは大巻小学校に転校しました。
和太鼓奏者 坂牧颯人(第5話)