中越市民防災安全士会 会員 吉原 昌隆(第8話)
10月25日午後、自衛隊のジープで隊員2名を川口町庁舎前の本部に案内した。
最初の対応は、町職員の用意した住宅明細図に小千谷市から川口町本部への行程、
脇道を含めて道筋を色付けしたことだった。
道半分が崩れている道路もあったが、補修作業も相まって、
この道を通じて食料等の支援が開始された。
その後、小千谷市役所に泊まり込んでの業務もあったが、
本部などですれ違う際に阿部金二連隊長から
「大きなテントを5千張用意した。
必要に応じていつでも搬入すると川口町に伝えてください。」
「困ったことは、何でも言って欲しい。」との声掛があった。
「5千張」を川口町に伝えた時の緊張は、今でも覚えている。
後年、阿部連隊長は千葉県浦安市で初めての危機管理監に就任され、
2010年に逝去された。
2011年東日本大震災の浦安市震災被害(液状化等)への災害派遣で、
中越大震災ネットワークおぢやの一員として入った際に、
阿部連隊長の後輩で浦安市危機管理監となられた澤畠博氏から
指導、交流を得ることとなる。
阿部連隊長の人となりを知る澤畠氏との交流と、震災が繋いだ縁に、天を仰ぐ。
澤畠氏は、現在、四街道市危機管理監、
特定非営利活動法人千葉県防災士会理事長として
行政そして地域の防災活動に取り組まれている。
最初の対応は、町職員の用意した住宅明細図に小千谷市から川口町本部への行程、
脇道を含めて道筋を色付けしたことだった。
道半分が崩れている道路もあったが、補修作業も相まって、
この道を通じて食料等の支援が開始された。
その後、小千谷市役所に泊まり込んでの業務もあったが、
本部などですれ違う際に阿部金二連隊長から
「大きなテントを5千張用意した。
必要に応じていつでも搬入すると川口町に伝えてください。」
「困ったことは、何でも言って欲しい。」との声掛があった。
「5千張」を川口町に伝えた時の緊張は、今でも覚えている。
後年、阿部連隊長は千葉県浦安市で初めての危機管理監に就任され、
2010年に逝去された。
2011年東日本大震災の浦安市震災被害(液状化等)への災害派遣で、
中越大震災ネットワークおぢやの一員として入った際に、
阿部連隊長の後輩で浦安市危機管理監となられた澤畠博氏から
指導、交流を得ることとなる。
阿部連隊長の人となりを知る澤畠氏との交流と、震災が繋いだ縁に、天を仰ぐ。
澤畠氏は、現在、四街道市危機管理監、
特定非営利活動法人千葉県防災士会理事長として
行政そして地域の防災活動に取り組まれている。
中越市民防災安全士会 会員 吉原 昌隆(第8話)