· 

342 震災の谷の思い出(その2)

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第14話) (元中越メモリアル回廊担当職員)

 
震災の谷を住民が大切に思っていることを示すには
行動することが一番と考えました。
復興支援センターのみなさんや地域の人たちと相談して、
この震災の谷を見学する遊歩道整備を検討しました。

震災の谷を挟む両側の集落から参加いただき、
竹沢側と梶金側から遊歩道整備を始めました。
遊歩道整備の最中にはマムシも現れ、捕まえてその場で皮をむいて、
その日の夜の直会であぶっていただいた事もいい思い出になっています。
ずいぶんと山古志の人たちとも仲良くさせてもらいました。

廃道上には、隣接する小千谷市十二平住民の軽トラックが残されていたり、
当時のことが残る震災遺構となりました。
住民が参加して、遊歩道を整備し、その住民が自らガイドも行っていたので、
その熱意を感じた砂防関係の工事担当者から、
砂防施設の設計変更されたことを教えてもらいました。
震災の谷を残すことができたのです。

ですが、県の道路管理者からは、この場所はやはり危険なので、
遊歩道の利用について立ち入りは禁止となりました。
今は草木に覆われて、震災の谷がどのような状況だったのか、
なかなか知ることはできませんが、震災からしばらくの間は、
あの日の出来事を伝える役割を果たしたと思います。

当時から、自然環境下で存置する震災遺構の難しさを感じていました。
とはいえ、震災から時間が経過し草木に覆われた姿は、
20年という時間の経過を表す震災遺構だと考えています。

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第14話)(元中越メモリアル回廊担当職員)