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313 中越地震、その時何が(その7)

株式会社夢プロジェクト 坂上明和(第8話) (元株式会社TeNYサービス 取締役)

 

地震発生から4日目、支社のテレビモニターが何か騒がしい。
事務所にはNHKを始め、民放4局のテレビが一列に並べられていて
見比べることができるようになっている。
各局のニュースを見ていると、どうも妙見堰の崩落現場で
行方が分からなかった家族が見つかったようだ。
「生存者がいるらしい」との報道が瞬時に駆け巡り、
現場が一気に色めき立つ。自分もテレビに釘付けとなる。

4日前、震災直後に信濃川沿いの崖が崩れ、
母子3人が乗った乗用車が巻き込まれているとの情報は入っていたが、
詳細は分からないままだった。
東京消防庁の消防救助機動部隊、いわゆるハイパーレスキュー隊が
余震の続く現場で命懸けの救助活動を行っていた。
既に72時間を過ぎて生存が絶望視される中、
突然の生存者情報に報道各社は色めき立ったのである。

最初に現場に到着したのは自分の局の系列局の中継車からの映像だった。
妙見堰の対岸、信濃川左岸から望遠レンズで対岸の崖崩れ現場が映し出される。
オレンジのユニフォームに身を包んだハイパーレスキュー隊の隊員達が
大きな落石が混じる崩落現場の一角に固まっている。
間もなく、次々と各系列局の中継車が到着し、
対岸の崩落現場が映し出されていく。

NHKの中継映像も始まり全局の映像が妙見堰を映し出している。
しかし、明らかにNHKの映像が民放局と違う。
数百メートルも離れた中継車からの映像が民放より遥かに鮮明なのだ。
これはVTRカメラのレンズと映像解像度の性能の違いだった。
民放各局の報道記者がリポートを始めるが、
映像のあまりの鮮明さに自分の目はNHKのモニターにしか行かない。
やはりNHKの機材は当時から群を抜いていた。
放送の現場は機材の良し悪しが決め手にもなるのである。

株式会社夢プロジェクト 坂上明和(第8話)(元株式会社TeNYサービス 取締役)