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302 ガス水道局での災害対応(給水車の配車計画)

おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第4話)

 (中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)

 

ありがたいことに一番多いときで
40台を超える給水車が応援というか駆けつけてくださいました。
災害対策本部には「△△市の水道局の方はいつからいつまで作業ができます」と。
例えば「1週間いることができます」とか
「1カ月いることができます」「3日間しか入れません」とか
それぞれ連絡を受けていたと思うのですが、
それが私のところに正確に伝わってこない。
一番切ないところでした。

例えば40台給水車があります、避難所が何十カ所ありますと、
「この水道局の給水車は明日の午前中はこの避難所とこの避難所。
午後はこの避難所とこの避難所を回ってください」という計画を毎日夜、
私の方で一覧表で作っておいて、40台あれば40の給水車の行き先を全部決めて
翌朝ミーティングを開かせてもらって、
「この通り動いてください」というお願いをしていました。

情報がしっかり入ってきていなくて、
朝になったら頼りにしていた△△水道局さんがいない。
もう活動を終えられて昨日のうちに帰ってしまった。
もちろんその活動が終わってみんな帰るという段階で
黙って帰るわけないと思うんですよね。
私に言わなかったとしても少なくともガス水道局の誰かには
「我々は今日で終わります。また機会があれば応援に来ますので」
というような話をして帰ったと思うんです。

たったこの距離の情報伝達でしかないところがうまくいってなくて
私のところにその情報が入っていなかったことで
朝のミーティングで「△△市さんはいませんよ」という話になる。
そうすると私が前の日に作っていた計画が、
よその事業者さん、水道団体さんに負担が行くんですね。

その時間に翌日行くことができない避難所も出てきてしまうんですね。
そうするとすぐ苦情の電話が入ってきます。
「昨日は10時に来たのに、まだ今日は10時半でになっても来ていないじゃないか」と。

応援に来てくださった各給水車の部隊の方たちは私の指示に全て従ってくださって
「急遽ここにも入ってくれ」というのも全部嫌な顔をしないで対応してくれていた。
水を配る時間は少し遅れたかもしれませんけれども
必要な方の所には届けることができたかなと思っています。

繰り返しになりますが情報が混乱している中でも情報がきちんと整理されていれば
ちょっと苦労が少なくて済んだのかな。
市民の方に迷惑をかけなくて済むのかなっていうのがあります。(つづく)

おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第4話)

 (中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)