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298 震災の谷の思い出(その1)

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第13話) (元中越メモリアル回廊担当職員)

 

旧国道291号が廃道処理された場所があります。
道路が斜面ごと谷に滑り落ち、道路復旧がかなり難しい状況となり、
山古志トンネルを新たに開通させました。
トンネルより先の集落の帰村に時間がかかったのも、
この大工事があったからとのことです。
その結果として、トンネルのわきにある壊れた道路や雪崩止めは放置され、
地震の被害状況を直接的に残す場所となっていました。
ある意味で存置されていたわけです。

トンネルの竹沢側の入り口から、この場所を見学することもできたので、
早くから平井先生が「震災の谷」と名前を付けて
被災現場保存して残すべきと意見されていました。

当時砂防を担当する部局から、
廃道に沿って流れる神沢川に砂防ダムの建設計画があり、
震災の谷に残る道路等の残骸はすべて撤去することになると聞きました。
住民のガイドさんたちからは、
あそこが地震を直接的に伝える最後の場所だと聞いていたので、
何とか残す方法がないか考えました。

ちなみにこの山古志トンネルの銘板は
当時の中学生が書いたものが採用されています。
トンネルの竹沢側にかかる橋の銘板も中学生の手によるものです。

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第13話)(元中越メモリアル回廊担当職員)