中越市民防災安全士会 関田孝史(第1話)(震災発災当時は、小千谷市職員 議会事務局)
夜中越大震災のとき小千谷市議会がとった当面の対応を振り返る。
発災当時は議会事務局の2年目であった。
当市の「地震等災害時における処理マニュアル」により、
職員は震度5強以上の地震が起きた場合は、
連絡がなくても全員登庁することになっていた。
自宅は小千谷市役所に近く、
家族をアテーナ小千谷店駐車場に避難させた。
ここは町内自班の一次避難場所で数人が集まっており、
私は市役所に駆けつけた。
1階の入口に入ろうとしたときに、大きな揺れが来て、
付近にいた人は一斉にしゃがみこんだ。
当直室で電話が鳴っていたが、
ガードマンは対応できずにいたので、
中に入り受話器を取った。
そこから5日間にわたる電話対応が始まった。
この時、市の災害対策本部は消防庁舎前に設置されており、
市庁舎は真っ暗で内部の状況は全く分からなかった。
発災当時は議会事務局の2年目であった。
当市の「地震等災害時における処理マニュアル」により、
職員は震度5強以上の地震が起きた場合は、
連絡がなくても全員登庁することになっていた。
自宅は小千谷市役所に近く、
家族をアテーナ小千谷店駐車場に避難させた。
ここは町内自班の一次避難場所で数人が集まっており、
私は市役所に駆けつけた。
1階の入口に入ろうとしたときに、大きな揺れが来て、
付近にいた人は一斉にしゃがみこんだ。
当直室で電話が鳴っていたが、
ガードマンは対応できずにいたので、
中に入り受話器を取った。
そこから5日間にわたる電話対応が始まった。
この時、市の災害対策本部は消防庁舎前に設置されており、
市庁舎は真っ暗で内部の状況は全く分からなかった。
中越市民防災安全士会 関田孝史(第1話)(震災発災当時は、小千谷市職員 議会事務局)