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268 美味しかった中越(その2)

大阪大学大学院人間科学研究科 准教授 宮本匠(第6話)

 

中越の復興といえば、美味しいものでしょう。
長岡市のあやしいマンションに阿部巧さんと移り住んだ2006年。
僕は中越復興市民会議のおこす事業で雇っていただきました。
月8万円の給料、今思えば、ほんとどこの馬の骨かわからない若造に、
寄付だけでまわってた出来立てホヤホヤの民間団体がお金をくれたなんて、
ほんと思い切ったことしてくださったと感謝の限りなんですが、
出だしはなかなか不安でした。

怪しいマンションの家賃を2万円とすこし、zoomなんてない時代、
先生から月に1度はゼミに帰って来いと無茶なこと言われて、
夜行列車の往復にもお金がかかる。
そこで、救世主になったのは、ヤマの畑と母ちゃんの台所でした。

「翡翠色ってこういう色なんですね!」とわざとらしく(でも、本心)
さわいでいると、甘長唐辛子をゲット。
じいさんはうまいもまずいもいわずに食ってるけど、
宮本君は喜んでくれると、どんどんおかずをだしてくださって。
しがない大学生にできることは、だされたものをおいしいおいしいって
食べてお代わりすることしかできなかったんです。

けど、震災10年のときに、他の学生がインタビューをしたら、
そのときのお母さんの一人が、「大学生たちが来てくれて、
オラがつくったまんまを、うめぇうめぇって食べてくれたのが、
気もまぎれたし楽しかった」と語ってくださったのがうれしかった。
いやいや、おかあさん、こっちもなにができるかわからなくて悩んでるときに、
おいしいまんまに救われていました。

1点、二十歳の私はそれまで自分はいくら食べても太らないんだと思っていましたが、
月8万円の極貧生活のはずがこの年私は1年で15キロ太ることに。
山の豊かさを身をもって知ったのでした。

大阪大学大学院人間科学研究科 准教授 宮本匠(第6話)