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267 地震発生、車の中に避難

おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第1話)

(中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)

 

地震の当日、自宅で被災をしました。
わが家は夕飯が大体早い部類の家族だと思うので、ちょうど夕飯の支度ができました、
さあ食べようというタイミングで地震に遭いました。

どのお宅もそうだったと思うんですが、揺れが強くなってすぐ停電。
電気はもう真っ暗になって、外も暗かったので本当に何も見えないような状態の中で、
とにかく四つん這いに自然と体がなって、
「揺れが早く収まってくれ」と祈っていた状態だったと思います。

1回目の揺れが収まって最初に、懐中電灯を探さないと真っ暗で
とにかく避難することができないという思いがありまして、
懐中電灯が普段は置いてある場所に探しに行ったら、
当然なんですけれども転がっていてそこにはない。
手探りで真っ暗な中、「懐中電灯、懐中電灯」と言って
懐中電灯を探し出せなくてちょっとパニックになったのが最初のパニックでしたね。

懐中電灯をやっとのことで見つけて、割れた食器を避けるように、
足元に気をつけながら、1回外に出るという行動をとりました。
家の高床の車庫部分から、家の近くにあったちょっと広いスペースに車を出して、
当時まだ一歳にならない子どもと両親と妻と、とりあえず車の中で避難をした。
もう一人、実は当時寝たきりの祖母がいまして。
祖母も助けないといけないという中で、私が車を出してすぐ家に戻って
祖母をおぶって車の中まで連れて行ったというところが最初にとった行動でした。

停電してますし情報が欲しかったんですね。
幸い車にカーナビが付いていましたので電源をつけたら、
当時の市役所の方が電話か何かで答えているという状況でした。
私も市の職員ですので、職場に行かなければならないという状況なんだなと
いうのが分かりまして、大きい余震が終わるまでは家族と車の中で
不安な気持ちで過ごしていたということになります。(つづく)

おぢや震災ミュージアムそなえ館 堀澤淳司 インタビュー(第1話)

(中越地震発生当時 小千谷市ガス水道局主任)