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266 やまこし復興交流館準備室のこと

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第12話) (元中越メモリアル回廊担当職員)

 

山古志地区に展示施設を作るにあたって、
帰村の時期が遅かったこともあって、設置する場所も、
内容も決定に向けて予定よりもずいぶん遅れていました。
館の運営責任者、運営主体をどうするのか、
しっかりと地域との合意形成、つまり話し合いが足りないとの判断から
復興交流館は他施設よりも開館が2年遅れることになりました。

その調整と準備のために向田にあるロータリーハウスの一階に
復興交流館準備室を設置しました。
私と齋藤隆さんと二人、机を並べてのスタートでした。

準備室とは言え、見た目も大切だと、
すぐ近所に住んでいた山古志住民会議代表である星野勇さんが、
確かイチョウの板だと思うのですが、
ピカピカに磨いた看板を用意してくださいました。
そこに山古志魂のロゴを揮毫された書家の柳瀬望美さんを紹介いただき、
「やまこし復興交流館準備室」と書いていただき掲げることになりました。

ここに事務所を構えたことで、古民家の調査や村の文化財としての民具のこと、
住民へのインタビューなどを通じて山の暮らしに触れることもできました。
平井先生が隣にお住まいでしたので、
作戦会議は毎日できるしそれは良い環境でした。

ただ冬の寒さが大変でした。
なかなかの広さがある空間です。
部屋をすべて暖める事なんて無理でした。
そこでエアキャップのロールを購入して、
天井からそれをぶら下げて部屋を区切り個室を作って、
そこで灯油ストーブで暖を取りました。
大雪の日は、除雪作業を部屋から頭上で雪を飛ばす除雪機を見守り、
夏には草刈り機をぶん回しながら、
地域の人たちの顔なじみを増やしたのでした。

福島県立博物館 主任学芸員 筑波匡介(第12話) (元中越メモリアル回廊担当職員)