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265 7.13水害の体験談 見附市内の工場に勤務されていた安達さん(その3)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第6話)

 

※7月13日(昨日)で、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年をむかえました。
 本文章は、7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に
 地域の方々にヒアリングし、信濃川大河津資料館にて紹介したものを、
 読みやすく調整したものです。

工場内は泥やゴミで埋め尽くされており、機械は全て泥水に浸かり、
とても操業できる状況ではありませんでした。
保険の査定が終わり、片付け始めたのは1週間後だったと思います。
泥出し、ゴミ出しに1ヶ月、工場内の清掃・消毒、
機械の清掃・修繕に3ヶ月かかりました。
10月にようやく操業でき軌道に乗りかけたと思った矢先の地震発生。
工場は再び壊滅的な状況となりました。
さすがに気力を削がれました。
 
刈谷田川は暴れ川で昔から堤防決壊を繰り返していたことは知っていましたが、
まさか、自分がその被害を受けるとは思ってもみませんでした。
事前に情報を知っていれば、車をダメにすることなく、
死ぬかもしれないという恐怖感を味わうこともなかったかもしれません。
可能ならば、外出中や旅先でも情報を入手できる、
年配の方でもわかりやすく入手できる、
そのような情報提供・入手のしくみがあれば、なお良いと思います。

また、日常的な知識として、周辺の地形を頭に入れて置けばよかったと感じています。
私は車を濁流が流れてくる下流の高台に移動してしまいましたが、
上流の方へ移動したほうが良かったです。
それに避難経路を覚えておくことも大切だと感じました。

今回の水害で、民家に避難させてもらったことは非常によい判断でした。
形振り構っていられない状況であったのは確かですが、
この判断がなければ濁流に流されていたでしょう。
民家の方には本当に感謝しています。
1人でないということは精神的に大変助かりました。
同時に、企業も地域との交流が重要だとつくづく感じました。

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第6話)