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263 7.13水害の体験談 見附市内の工場に勤務されていた安達さん(その1)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第4話)

 

※7月13日で、7.13水害(新潟・福島豪雨)からも20年をむかえます。
 本文章は、7.13水害の体験談として、7.13水害から5年後の平成21年に
 地域の方々にヒアリングし、信濃川大河津資料館にて紹介したものを、
 読みやすく調整したものです。

お昼ご飯を食べている最中、
刈谷田川の水位が上がったため水門が閉められました。
これにより排水ができず工場の敷地に水が溜まり、操業停止となりました。
そのうちに上流から濁水が流れてきて駐車場が浸水。
車が流される危険性があったため、
工場より下流の方にある高台に車を移動させました。
水門閉鎖による湛水は過去に幾度かあったため、
「いつものことだ」と言い聞かせるように心を落ち着かせました。
 
工場に戻ると浸水深は膝下くらいまでになり、
さらに水かさが増す気配であったので、
再度車を移動させるため高台へ向かいました。
車の移動を終え会社に戻ろうとしたのですが、膝上まで浸水し、
流れが速くなったため会社に戻れなくなりました。

そのうちに上流から車や大木が流されてきて、
とても歩ける状態ではなくなってしまいました。
それでも何とか戻ろうとしたときでした。
路肩の側溝らしき深みに足を取られ危うく流されそうになりました。
 
会社に戻ることは諦め、民家の庭に避難しました。
ふと周りを見ると、窓ガラスがバリバリと割れて、
家の中へ水が入っていくのが見えました。
中に人がいるのではと思い、助けに行こうとしたのですが、
自分の身を守るだけで精一杯。
また、車のハザードランプがあちこちで点滅しては消えていく様子が見えました。
浸水で電気系統がショートしたのでしょうか。

そうこうしているうちに目の前の道路が濁流渦巻く川と化していきました。
「もっと水位が増えたら助からないかもしれない」
最悪の事態が頭をよぎったときでした・・・。
(その2へつづく・明日配信)

株式会社エコロジーサイエンス 樋口勲(第4話)