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257 中越地震と私(その8)学校再開

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第8話)

 

文部科学省による校舎の耐震審査を終え、
校舎設備の完全復旧には至らないものの、学校再開の目途が立った。
翌週11月8日から再開する旨、各避難所への掲示物や各戸への家庭訪問で伝えた。

安全な通学路が限られ、登下校中の余震も十分に考えられることから、
毎日教職員が町内ごとに引率して登下校をした。
22日からは危険ポイントごとに教職員が立哨することに変更し、冬季間も継続した。

学校再開前は、教職員の姿を見ていても、
家や避難所に残してきた我が子のことがやはり気になっていた。
学校生活に不便さは残っていても、
子供と家庭・地域双方にとって学校が再開する意義は大きい。

備えあれば憂いなしというが、逆に、憂いをもつ者は絶えず不安になる。
地震後、一人で自宅の二階に上がれなくなった子や
夜トイレに行けなくなった子などがでてきていた。

学校では学校再開後すぐに避難訓練を行い、
こうすれば大丈夫なんだよ、よくできたねと伝えた。
また、学校での安全な過ごし方について知らせ、
あなたがどこにいるか先生は分かっているよと安心させた。
また、不安や悩みについての聞き取りを全員に行った。

新聞には、頑張ろう、負けるななどの力強い言葉もあったが、
小千谷小学校の児童玄関と職員玄関には、
子供たちがほっとするメッセージを掲げたいと思い、
「みんなにあえてよかったね」「あかるくすすもう谷小の子ども」とした。

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第8話)