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248 高校1年生だった私の体験(8)10月27日続き

元 川口きずな館スタッフ・旧川口町武道窪出身 赤塚千明(旧姓 渡辺)(第8話)

 

地震が来た瞬間は、家族も別々に被災したらしい。
父と5年生の末の弟、祖父と祖母の4人は実家一階の茶の間にいたそうだ。
前後や天地もわからなくなる程の大きな揺れで、
特に祖母はパニックになってしまい逃げることを忘れてしまったそうだ。
祖母を父が担いで、網戸を蹴破って外に出た。
元々目を患っていた祖母はストレスのせいか一時的に目が見えなくなってしまった。

わたしの母と、中学1年生の弟は小千谷で買い物をしていたそうだ。
スーパーの中で揺れに見舞われ、腰が抜けた母を弟がどうにか手伝って避難させたらしい。
長岡で避難していたとき、この弟がテレビ画面にでかでかとピースサインで映っていたのを見た。
「バカじゃないの」と友達と2人で見て笑った。

その後、被災した武道窪の実家を見に行った。
築60年程の汲み取り式のトイレを使っていた古い家だったので、
直して住めるような状態ではないことはすぐわかった。
2階の自室にあったはずのテレビが、何故か屋外に放りだされていた。
お風呂場のタイルは全て剥がれ落ちていた。
これはだめだなと、絶望を通り越して笑いが出た。
まだ子供で、これから先の生活に対して責任感を負っていなかったのもあったのだろう。
妙な高揚感があり火事場のナントカのような精神状態だったのだろうと思う。

実家はぺちゃんこにつぶれていた訳ではなかったので、
ヘルメットをかぶって、自宅1階のトイレで用を足そうと試みたこともあった。
2度目ときに余震がきて、走って飛び出しそれ以降は怖くなってやめた。

【執筆】
 元 川口きずな館スタッフ・旧川口町武道窪出身 赤塚千明(旧姓 渡辺)(第8話)