新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行)
中越地震は、外国人支援が歴史上初めて組織的に行われた場であったと言えます。
その体制をわずか一日で考案し、実現させたのが
羽賀友信さん(現 長岡市国際交流センター長)です。
なぜそのような組織的支援体制の構築が可能になったのか。
それは震災の三年前までさかのぼります。
もともと国際協力の分野で難民問題など、人道支援の専門家であった羽賀さんは、
親の介護のために地元長岡に帰ってきました。
当時の合併前の長岡市には、在留外国人が2500人もいたのですが、
彼らの支援のための相談窓口は存在していませんでした。
羽賀さんは行政の手続きや病院の付き添いといった支援を
その都度ボランティアで行っていましたが、その対応には限界がありました。
彼らについての情報を一元化するとともに、
何が課題でどのような解決策が必要かを議論し、
対応する場をつくるため、国際交流センターの立ち上げに至ります。
そこには日本語教育、啓発事業、相談業務の機能を持たせ、
研修制度の実習生や外国人花嫁、留学生への支援を行う制度を構築しました。
中越地震が起こったのはこのような制度が整った直後のことでした。
この国際交流センターの存在がなければ、
外国人被災者へのきめ細やかな支援は実現することはなく、
そしてその経験が今後に伝えられることもなかったでしょう。
われわれ中越20年プロジェクトのメンバーは、羽賀さんにインタビューを行い、
当時の経験や思いを伺いました。
次回からは「羽賀友信さんかく語りき」として、
羽賀さんの語りをできるだけありのままに残す形で配信していきます。
【執筆】
新潟県中越大震災20年プロジェクト事務局(中村早希・諸橋和行)