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237 中越大震災の体験-外国籍市民の声-(その7 アメリカの留学生) 「長岡の新しいフェニックスの炎(3)」

「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第9話) 協力:国際交流センター「地球広場」

 

ある日、友人の一人と先生が、支援ボランティアの学生組織があることを教えてくれ、
それは良い機会だと思い、私たちはある朝準備をして、
たくさんの若い男女が長岡の様々な地域に配置されようとしているところへ行きました。
すべてのことがこれほどまでに組織化された方法で進行していることに大変驚きました。

私は市役所の倉庫に配置され、そこで最終的に長岡市の避難所に
受け渡されることになる食糧の積み下ろしの仕事をしていました。
避難所で仕事をしていると時間が早く過ぎ、食糧の積み下ろしを迅速に行えば、
人々がより早く食べ物を受け取ることができることに気が付きました。
他の人の力になっているという気持ちが、ボランティアの人々に長時間、
迅速に仕事を成し遂げるためのエネルギーを与えてくれました。

友人と私にとって、倉庫で話される日本語を理解することは非常に難しいことでしたが、
サインやジェスチャーを使うことで、
どうにか連携して働くための意思の疎通を図ることができました。

さらに時間が経つと、日本全国から仕事を休んで長岡の人々を助けに
来てくれている人々がいるということを知りました。
その地点で、ボランティアが多すぎるように感じていましたし、
仕事がだんだんと減っていくことにも気が付いていました。
特に私たちは日本語が話せませんでしたので、もう私たちの助けは必要がないと思い、
すべてのグループ(学生ボランティア)が学校の寮に戻りました。
(明日へつづく)

【執筆】
 「母国語でつづる中越大震災の記憶」より抜粋紹介(第9話) 協力:国際交流センター「地球広場」