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210 中越地震と私(その7)

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第7話)

 

学校職員として、児童を守ること、そして学校を守るということは

言うまでもないことで、常に念頭にある。
しかし、災害時において、同僚職員を守るという感覚が、
自分たちには弱かったのかもしれない。
職員の個別の状況を勘案しつつ、学校再開に向けてどう総力を挙げていけばよいのか。
全く未知のことだった。

初期対応で走り続けていた小千谷小学校職員の心身の疲れは、ピークになっていた。
自宅の片付けなどを含めた肉体的な疲れだけでなく、明日の見通しさえ持ちにくい状況や、
情報が行き渡らず全体像が見えにくくなっていることからも、
疲れが増しているように感じた。

そこで、10月28日から次のようにした。

■軽重をつけて大胆に仕事を分担する。休む人は休む。名札で所在地や仕事を明示。チーム(学年部)を活かす。
■現状と今後の情報を一斉に共有できるよう、全員が会議室に集合する時間を決める。
■職員室前に情報コーナーを設置する。校区地図に通行可能場所などを書き込み共有する。
■個々の児童の情報をエクセルで一元管理し、誰もがアクセスできるようにする。

今考えれば、どれも当たり前のことばかりなのだが、
当初はそんなことさえ思いつかない程、
私たちの学校にとって中越地震は未曾有の出来事だった。

【執筆】
 前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第7話)