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189 中越地震から半年間が復興の正念場だった(その7)  -平成大合併の前に「山古志村復興ビジョン」づくり-

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第14話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)

 県からの復興ビジョンを踏まえ、2005年4月以降、

つまり合併自治体は合併後に復興計画の策定に取り組みましたが、
それを待つことなく、合併前に各々の地域の復興の思いをまとめて、
自分事としての復興をめざそうという動きもありました。

とくに災害報道を通して全国に知られた全村避難した旧山古志村は、
多くが仮設住宅に移動した12月中旬から「山古志復興ビジョン」の策定に取り組み、
合併前の3月15日に「山古志復興プラン」を公表しました。

「山古志復興プラン」は、全村避難から『帰ろう山古志へ』を合言葉に、
役場主導ではありましたが、集落ごとに仮設集会場を配置した仮住まいでの
ミーティングを重ねて、<復興方針>と<復興目標>をまとめました。

<山古志復興の基本方針>
 ①道路の復旧
 ②安全な土地の復旧整備
 ③ライフラインの復旧
 ④住宅の復旧
 ⑤公共機能の復旧
 ⑥生業の再生
 ⑦新しい山村文化の創造
 ⑧中山間地域の生活産業の創造
 ⑨親と子どもの夢をかなえる学校づくり
 ⑩生涯現役で暮らせる村づくり
 ⑪中山間地域における不安のない地域社会づくり
 ⑫山古志らしい景観の創造
 ⑬トータルに情報発信する仕組みづくり

<山古志復興の目標・重点事業>
*帰村の基本目標 時期:2006年9月
*復興事業具現化の目標:復興重点事業プロジェクト
 ①中山間地型復興モデル住宅
 ②ネットワーク型防災社会
 ③山古志ブランド農業
 ④錦鯉の聖地としての交流拡大
 ⑤住民起業、滞在型リゾート
 ⑥山古志街道
 ⑦美しい景観の形成
 ⑧山古志情報センター

山古志復興プランは国の山古志復興会議および新潟県に支持され、この復興プランを懐に、
震災から半年後の2005年4月1日に、山古志村は長岡市と合併しました。
そして長岡市は8月10日に「復興計画」を公表しました。

 

【執筆】
 公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第14話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)