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183 中越地震から半年間が復興の正念場だった(その1)

公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第8話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)

 

※本日でメルマガ配信からちょうど半年が経ちました。
 2024.10.23まであと半年、折り返し地点です。
 そこで中林一樹先生より「中越地震から半年間」をテーマに
 複数話、続けて配信させていただきます。

2004年10月23日17時56分から2005年4月23日までの6カ月は、
20年目の今日まで続く新潟県中越地震の復興の基盤を作った半年でした。
この半年の間に、取り組んだ、取り組まざるを得なかった出来事が、
中越の復興をもたらしました。
その取り組みを振り返っておきたいと思います。

この震災からの半年間を振りかえる時、思い返されるのは
 「平成の大合併」
 「避難・仮設期のコミュニティ団結力」
 「新潟県中越復興基金」
 「新潟県の中越復興ビジョン」
 「山古志村の復興プラン:帰ろう 山古志への策定」
です。これらが大雪に中の半年間で成し遂げられたのです。

平成の大合併では、全国で約3300団体の基礎自治体が約1700の団体に半減されたのです。
新潟県では112市町村(1999年3月)が30市町村(2010年3月)になり、
中越地域では26市町村が6市になったのです。

もしこの平成合併が無かったら、
26市町村を越える独立した自治体がばらばらと復興計画を策定し、
県・国との縦の関係性だけで復興に取り組むことになっていたことでしょう。
自治体間の様々な格差・不平等が復興をギクシャクさせて、復旧も遅れ、
地域衰退を加速したのではないかと思うのです。

この中越地震の発生からの半年間、中越復興の正念場を振り返っておきたいと思います。
(その2へつづく・明日配信)

【執筆】
 公益社団法人中越防災安全推進機構 理事長 中林一樹(第8話)

 (新潟県中越大震災20年プロジェクト 実行委員長)