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170 中越地震と私(その6)

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第6話)

 

10月27日、震度6弱(小千谷では5強)の余震があった。
小千谷小学校の職員は三班に分かれ、これまで手の付けられなかった
理科準備室、教材室、図書準備室の片づけをしていた。
もとより家具が固定されていない部屋ばかり。
私がいた三階図書準備室では、大きな書架が辞典辞書の類を入れたまま、右に左に滑り動いた。
本震の記憶を思い出したのか、悲鳴を上げてしがみついてくる職員もいた。

揺れが収まり、玄関先で職員の点呼確認。
そして、顔を合わせた者同士、その時の状況や心境を口々に話し出した。
そんな時、「校舎内に戻って片付け作業の再開」との指示が出た。
張り詰めていた心の糸が切れる音がした。

無理もない。自宅が被災した多くの者は、日中学校で作業をし、帰ってからは家の片付けだ。
避難所から出勤している者も、知人宅に身を寄せて遠距離通勤となった者もいる。
夜間・休日の交代勤務もある。
地域の一員としての働きもしなくてはならない。
心身の疲れがピークになっていた。
この揺れで家に残してきた家族のことが心配だ。
そもそも怖くて、あの準備室に戻ることはとてもできない。

結果、泊り番となっていた職員を除き、ほとんどが年休を申し出て一斉に退勤した。
集団的で、群集心理のような不安定さを感じた。
このままではまずい。 (つづく)

【執筆】
 前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第6話)