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169 地球の裏側で(その3)

中越市民防災安全士会 会長 岸和義(第3話)

 

地震直後に私が取らざるを得なかった行動は「顧客行脚」でした。

いくら日本の新潟県の地震の事であっても、主な顧客先の日系自動車メーカーのみならず、
米国メーカーであっても調達部門は状況を察知し、報告を求めはじめる様になりました。

数日かけてオハイオの工場はもちろん、イリノイ、インディアナ各州の自動車メーカーを訪ね、
長岡での被害のこと、そしてオハイオでの生産に問題が無いことを報告して回りました。
確信があっての大丈夫宣言ではありませんでしたが、
日米の関係者のお陰でお客様のラインを停める事はありませんでした。

結果的には大事に至らなかった訳ですが、もし被害がもっと大きく、
影響が長引いたならば、米国の自動車メーカーであっても、事情を汲み、
彼ら自身の生産計画を調整するなどしてくれたのではないか、と思います。
但し、早めの打ち上げがあれば、です。 
情報が命の訳ですが、メールでつながっていれば良し、ではなく、
頼れる人的関係が築けているかが問われているのだと振り返ります。

【執筆】
 中越市民防災安全士会 会長 岸和義(第3話)