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160 北仮設と足湯(その4)

大阪大学大学院人間科学研究科 准教授 宮本匠(第4話)

「Tさん亡くなったの聞いた?」
北仮設がなくなって1年ほどたったころだったでしょうか、
足湯に通っていた同級生からそうたずねられました。

彼女たちは、仮設がなくなった後も、足湯を通じて知りあった人とご飯を食べたり、
カラオケに行ったりしていました。
世代も随分ちがったのに、完全に友達という感じで楽しくやっていました。
私は集落に通うのが主になり、Tさんが亡くなられたことも知りませんでした。

Tさんも足湯を通じて知りあった方で、すこしさびしがりやで、
彼女たちが足湯から帰った後は、大好きな演歌歌手のポスターがはられた仮設の居間で、
寂しいとよく泣いておられました。

亡くなったことを友人から聞いて、驚くとともに、
ああ彼女たちは「看取り」までやったのかもしれないなあ、と思いました。
Tさんの最期がどのようなものだったか知りませんし、
彼女たちもそこに立ち会ったわけではありません。
けれど、まさに最期に立ち会えなくても「看取り」はあるんじゃないかと思ったのです。

だから、仮に北仮設での「コミュニティづくり」が足湯を通じて行われたのだとしたら、
それは物理的な仮設住宅の中にとどまるものでもない、
仮設がなくなったあとも、またそこにいらっしゃった方が亡くなった後も
存在する「コミュニティ」なんだと思います。

【執筆】
 大阪大学大学院人間科学研究科 准教授 宮本匠(第4話)