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154 中越地震、その時何が(その4)

株式会社夢プロジェクト 坂上明和(第4話)(元株式会社TeNYサービス 取締役)

 
中越地震で全国各局の応援取材班を受け入れることに際しては
阪神淡路大震災での取材経験が大いに役に立った。

自分は発災から3日目に現地の応援取材に入ることになり、
大阪の準キー局であるYTV読売テレビに向かう。
ここが日本テレビ系列のニュース取材の本部となり、
24時間体制で番組の放送を続けていた。

報道局のデスクから現地への入り方や取材の指示を受ける。
道路が使えないため、大阪港の天保山の岸壁からチャーター船に乗り込み神戸港に向かった。

小一時間ほど乗っていただろうか、右手前方に神戸港が見えてきた。
港のガントリークレーンがことごとく倒れているのが見える。
凄まじい地震の爪痕を目の当たりにして身震いしたことを覚えている。
当たり前だが、これほどの大災害を取材した経験はない。
結果的に6千人以上の方が犠牲になり、
太平洋戦争以来の悲惨な現場といっても過言ではない自然災害であった。

下船して神戸の取材拠点であるビルの一室に向かう。
ここは広告会社・大広の神戸事務所であるが、ご好意でNNN取材班の拠点として借りていた。
ビルの電気は大丈夫だったがトイレはまともに使えず、
溜めた僅かな水で流すことを強いられる。

しかしこの後、神戸市内の避難所でトイレの悲惨な状況を目の当たりにし、
我々取材班の生活環境は遥かに恵まれていることを知ることになる。

 

【執筆】
 株式会社夢プロジェクト 坂上明和(第4話)(元株式会社TeNYサービス 取締役)