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147 青葉台3丁目自主防災会の歩み 話題(1)町内会(自主防災会)発足の思い

青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第1話)

 
私の住んでいる町内会は平成8年に「自分達の地域は自分達で護る」を合言葉に発足した。
これは何でも行政に頼らず、出来るだけ自分達で町内の課題を皆で協力して解決し、
自分達で不可能な事は行政や他機関へお願いする事を基本モットーに活動を開始した。

具体的には、町内の班構成は多くの人から町内の事を経験し理解してもらい、
協力してもらえるように、各班の世帯数は15世帯以内とし、1年交代とした。
又、班の世帯はお互い向かい合わせにし、屋外に出た時に挨拶等が行いやすくした。

行事も皆が集まって懇親が深まるよう全町内会員参加出来るバーベキュー大会や
総会の後の新年会やその他行事後の懇親会も企画し、融和を図るようにした。

町内会が発足して2年後の平成10年、
災害等が発生した時に対応する組織がない事が問題と認識し、
長岡市に相談の上、自主防災会をつくる事にした。

長岡市から最低限の機材と運営規約等の支給と指導を受け、防災倉庫をつくり、
防災活動を班長の役割として活動を開始した。
活動を開始すると、防災委員が毎年交替する班長兼務だと、訓練や打合せをしても、
次年度に打合せ時の反省内容が次年度活動に上手く反映されていない事が判明した。

【執筆】
 青葉台3丁目自主防災会運営委員長(中越地震当時) 畔上純一郎(第1話)