前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第5話)
小千谷小学校は、広い学区に児童数1000人を超すマンモス校だった。
そのため、発災後の児童安否確認には漏れ落ちが無いよう、
組織的に一斉確認することにした。
発災翌日から町内別の児童名簿を作成し、各担当者は住宅地図を頼りに児童宅を把握した。
職員は二人組になり、徒歩や自転車で各町内を回り、得た情報を学校で突き合せた。
家具の転倒により怪我をした児童がいたものの、
県外の施設に避難した児童を除き一日半で安否確認は終了した。
児童名簿の管理は、被災状況や現在の生活の場の把握にも極めて重要だった。
特に11月8日の登校再開後は、「今日は某避難所から登校し、某町内の祖父母宅に下校する」など、
子供の生活も流動的な部分が増えた。
それらに対応して職員が下校引率することから、毎日下校班名簿を作り直す必要も出てきた。
また、避難所生活が続く中、総合体育館で寝起きし、
そこから登下校する子供たちが一定数固定してきたため、
町内班編成を見直し「総体」という新しい町内班ができた。
学校再開後も道路の補修等が続く一方で、
高速をはじめ通行が再開される道があると、通学路の状況も日々変わった。
大雪の冬の間も、安全な通学路の確保を続けた。
警察からの情報や街頭安全指導がありがたかった。
そのため、発災後の児童安否確認には漏れ落ちが無いよう、
組織的に一斉確認することにした。
発災翌日から町内別の児童名簿を作成し、各担当者は住宅地図を頼りに児童宅を把握した。
職員は二人組になり、徒歩や自転車で各町内を回り、得た情報を学校で突き合せた。
家具の転倒により怪我をした児童がいたものの、
県外の施設に避難した児童を除き一日半で安否確認は終了した。
児童名簿の管理は、被災状況や現在の生活の場の把握にも極めて重要だった。
特に11月8日の登校再開後は、「今日は某避難所から登校し、某町内の祖父母宅に下校する」など、
子供の生活も流動的な部分が増えた。
それらに対応して職員が下校引率することから、毎日下校班名簿を作り直す必要も出てきた。
また、避難所生活が続く中、総合体育館で寝起きし、
そこから登下校する子供たちが一定数固定してきたため、
町内班編成を見直し「総体」という新しい町内班ができた。
学校再開後も道路の補修等が続く一方で、
高速をはじめ通行が再開される道があると、通学路の状況も日々変わった。
大雪の冬の間も、安全な通学路の確保を続けた。
警察からの情報や街頭安全指導がありがたかった。
【執筆】
前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第5話)