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138 中越地震と私(その5)~児童名簿管理~

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第5話)

 

小千谷小学校は、広い学区に児童数1000人を超すマンモス校だった。
そのため、発災後の児童安否確認には漏れ落ちが無いよう、
組織的に一斉確認することにした。

発災翌日から町内別の児童名簿を作成し、各担当者は住宅地図を頼りに児童宅を把握した。
職員は二人組になり、徒歩や自転車で各町内を回り、得た情報を学校で突き合せた。
家具の転倒により怪我をした児童がいたものの、
県外の施設に避難した児童を除き一日半で安否確認は終了した。

児童名簿の管理は、被災状況や現在の生活の場の把握にも極めて重要だった。
特に11月8日の登校再開後は、「今日は某避難所から登校し、某町内の祖父母宅に下校する」など、
子供の生活も流動的な部分が増えた。
それらに対応して職員が下校引率することから、毎日下校班名簿を作り直す必要も出てきた。

また、避難所生活が続く中、総合体育館で寝起きし、
そこから登下校する子供たちが一定数固定してきたため、
町内班編成を見直し「総体」という新しい町内班ができた。

学校再開後も道路の補修等が続く一方で、
高速をはじめ通行が再開される道があると、通学路の状況も日々変わった。
大雪の冬の間も、安全な通学路の確保を続けた。
警察からの情報や街頭安全指導がありがたかった。

【執筆】
 前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第5話)