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106 中越地震と私(その4)

前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第4話) :

 

発災の二日後、小千谷小学校(以下谷小)での職員の泊り番が始まった。
職員室の机を動かして多少のスペースを作り、
布団を保健室から持ち込み、固定電話を枕元に置いて寝た。

谷小に留め置かれた放送中継車からの報道をご覧になった方なのか、
避難者に関する問い合わせの電話が多かった。
中には我が家の子供用衣類は必要ですか等未明でも電話が鳴った。
私が回答できない内容は、避難所運営をされている市の職員にお願いした。

幸いにも谷小の避難所は市役所職員が運営し、
学校職員はその後方支援をするに留まり、これが他校との大きな違いであった。
そのため谷小の教職員は学校再開に向けた業務に専念できた。

数日後、兵庫県教委から派遣された震災・学校支援チーム(EARTH)が谷小を訪問した。
彼らは阪神淡路大震災を経験し、専門性や実践力を備えた教職員らで編成されていた。
彼らの指摘や助言の一つに、この学校の教職員の活動が市民の目の前で展開されていないことが、
後に「あの時学校は何もしなかった」という声につながる可能性があるというものがあった。

後日そのような地域の声が実際にあったことを伺い、
「地域の学校 地域が学校」を標榜していた学校だっただけに複雑な思いがした。
学校は地域とともに再開し復興させていくという思いを強くした。

【執筆】
 前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第4話)