本部会議は波乱の幕開けとなったが、災対本部の組織体制整備は着々と進んでいた。
通常の県庁組織とは別に、被災地支援に特化した複数の班を災対本部内に設置し、
県庁内各課から職員を引き抜いて災対本部に常駐させて24時間体制で支援にあたる。
例を挙げれば、避難所等への食糧支援班や物資支援班には、
それぞれ農林水産部や産業労働部の職員を中心に班が編成された。
それと同時に各被災市町村の災対本部にも県から職員を派遣して、
プッシュ型の連絡調整体制を整えていった。
このように災対本部に配置された職員は、
通常業務と並行して災害対策業務にあたることになる。
今で言えば「二刀流」ですね。
かなり過酷な勤務状況となったが、職員は皆よく頑張ってくれていた。
災対本部会議も冒頭の知事挨拶程度までを報道公開し、
その後はクローズ(報道退室)での会議となり、
知事との応答も部局長に加えて実質的な担当職員の出番も増えて議論が回り始めた。
そして、会議終了後に知事が報道取材に応じるという、
今もよくニュースで見られるスタイルとなり、落ち着きを取り戻していく。
大混乱の中、いろいろ失敗もあったが、災対本部の歯車は急速に回り出した。
組織を整備し、適材適所に人員を配置し、
ミッションと情報を与えてボタンをポンと押せば、
半ば自律的に課題解決に向かって動き出す。
「お役所」のよい面が発揮された場面だったと思う。
【執筆】
元新潟県県民生活・環境部 震災復興支援課長 丸山由明(第3話)