今となっては、地震があったからこそ、
私たちは「子育て支援」の枠を超えた活動が始まったと思います。
「助けて!」「いいよ!」といえる関係性が、個人もグループも地域も、
市民・企業・行政など分野の壁も超えて必要だという認識が強まったこと、
少しずつでもでき始めていることが、
東日本大震災の時に長岡で協働で立ち上げた「ボランティアバックアップセンター」や
2012年に制定された「市民協働条例」に繋がっていったのだと思います。
当時私の足元でハイハイしていた次男は間もなく20歳になります。
子どもたちの成長を改めて振り返り、私も団体も、周囲の人たちも、
生活にかかわるすべての存在が共に育ちあっていると感じます。
これからもこの経験を忘れることなく、皆さんと一緒に、
今まで以上にお互いを知り、認め合い、協働していくことで、
この子どもたちが「ここで生まれて、ここで育ってよかった。幸せだった。」
と誇りに思えるまちを一緒に創っていきたいと思います。
そして、それが全国からいただいたご支援にこたえることだと思います。
【執筆】
NPO法人多世代交流館になニーナ 副代表 佐竹直子(第3話)(当時は代表)