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068 人生の転機となった中越大震災(第1回)

その日私は勤めていたイベント会社の仕事で、

地元の吉谷小学校の創立130周年記念でレンタルしていた椅子を引き上げ、

2トントラックを運転していた。

 

市内のベイシアの脇の道路を走っていた時に、トラックが大きく左右に揺られた。

「参ったー、パンクか」

次の瞬間、ベイシアの外の通路の天井が大きく崩れ落ちるのが見えた。

 

するとカーラジオから中越地域で大きな揺れを観測したとの第一報。

しばらく車を止め、会社に電話するが当然繋がらない。

「休みも溜まっているしこうなったら有給休暇だ」と自分で勝手に判断し、

自宅へと引き返した。

 

かなり遠回りはしたが、自宅に帰ると家族は全員無事。

余震が頻発するので家の中には入れない。

学校の校舎も耐震ではないため入場許可が出ないようだ。

先生方は式典の礼服のまま、グラウンドに仮設テントを設置してくれた。

 

高齢の母親はそこで休ませることにして、私たち家族4人は車の中で一夜を過ごした。

外は星空がきれいで、ヘリの音だけが騒がしく鳴っていたのを覚えている。

(つづく)

 

【執筆】
小千谷市にぎわい交流課 地域づくり支援員 石曽根 徹(第1話)
元小千谷市地域復興支援員(小千谷市産業開発センター所属)