関越道対面通行にて開通の一方が流れる。
土曜日の午前3時、ワンボックスカーの後部座席をフラットにして布団を敷き
子供たち3人を乗せて実家に向かう。
朝には川口町に着いて子供たちの顔を私の両親・家内の両親に見せ、
その日の夜中に東京に戻る行き来が雪の降るまで続いた。
回を重ねるごとにインフラは整備され徐々に往来は楽になった。
ある時「川の堤防の向こうに自衛隊の風呂が出来たすけ、
おめぇたちも入ってこいや」と言われた。
災害支援のための風呂を「ある意味で部外者」である私たち家族が
利用することに気が引けたが、「いいお湯だから入ってこい」と何度も進められた。
鉄パイプと厚い布でできた大きな湯舟に、
魚野川から汲み上げられた水を移動式ボイラーで沸かしたお湯がたっぷりと満ち満ちていた。
立ち膝でないと頭が沈んでしまう深い湯舟だった。
「ありがたい」の一言、タオルで汗と涙を拭った。
妻の医療支援部隊潜入計画には後日談がある。
国道17号線は余震の度に通行止めになった。
迂回路を走行していると偶然にも医療支援の車とすれ違った。
「私もあの車に乗りたかったなぁ~」「なんで乗せてもらえなかっただろう」
とさんざん文句を言っていた。
長年の経験からこうゆう時には「黙っているに限る」ことを知っていた。
冬を越えて川口町への帰投計画が始動する。
【執筆】
東川口町会 庶務 上村光一(第5話)