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059 (災害発生直後は)「救援物資は原則受け取りません」宣言(その1)

中越地震発生から2年余りたった2004年11月の読売新聞夕刊のトップ記事に、
長岡市が「災害発生直後は不特定多数の個人からの救援物資を受け入れない」方針を
新たな防災計画に盛り込むことを検討していることが載った。

「せっかくの〝善意〟に対して何てことを!」「〝善意〟をちゃんと生かすべき!」
長岡市危機管理防災課長として取材を受けた私は、こうした反応を覚悟していたが、
意外にも、「被災地の実情がわかった」「救援物資のあり方に一石を投じるものだ」と
新聞の記事を読んだ人たちや識者から理解を示してくれる声が多く寄せられた。

記事の直後、読売新聞本紙「論点」に、~〝善意〟が空回りしてしまわないために~と
全国の多くの皆さんから支援を受けた被災地としてその教訓をきちんと発信したいという、
当時の森市長の思いが掲載されたことも大きな力となった。

中越地震発生から9か月余り経って危機管理防災課長に就任した私が目にしたのが、
市内の公共施設や民間から有料で借りた多くの倉庫の中に積まれたままになっている
全国からの救援物資の箱の山であった。

なぜ、そのままになっているのか?
水、缶詰、粉ミルク、オムツ、衣服…、まさに送り主の思いが伝わってくる〝善意〟が
郵政省の〝善意〟で無料扱いとなった「ゆうパック」の箱に混在して詰まっている。
当時分別して活用する余裕がなかった救援物資には、期限切れとなった食品も多い。
缶詰を処分するには、「缶を開けて中身を取り除く、ラベルをはがす、缶やふたを洗う」
という作業が必要となる。
考えるだけで取り掛かる気がうせてしまうほどだ。(続く)

 

【執筆】
公立大学法人長岡造形大学副理事長 河村正美(第1話)(前長岡市危機管理防災課長)