勤務校である太田中学校には、発災後毎日通いました。
避難所となっていたため避難された方の支援、避難している生徒への対応のためでした。
教職員の中には自宅が全壊し、子どもの面倒を見たり父母の介護のため来られない方もいました。
冷静に考えられる今は、それが当然だと思いますし、そうすべきだと思いますが、
当時はどこか批判的に見ていた気がします。
窮地に陥った時、いかに客観的に冷静に考えられるかは
日頃の学びの中でしか培われないものと考えます。
また、生徒の精神状態が心配で時間をかけて生徒と話しをしました。
当時は根拠もなくそういった対応していましたが、
後に心理学を学ぶ中でその対応が適切だったことが分かりました。
ちなみに、その話を聞いたことが後に私自身を防災教育に向かわせた原因ともなります。
なぜなら、生徒が話す地震発生時の行動があまりに危険で、
本当に運だけで命を繋げられたのだと分かったからです。
一生のうちに遭うかどうか分からない災害であっても、
基本的な対処法を身に付けさせることは教育の使命だと強く感じました。
【執筆】
長岡工業高等専門学校 非常勤講師 五十嵐一浩(第3話)
(前三条市立第四中学校 校長)