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051 中越地震と私(その2)

発災からおよそ20分後、長岡の塾にいる中三の娘を迎えに見附を出た。

見附大橋は橋桁と路面の間に40㎝ほどの段差ができていて通行不能。

長岡まで通れるところを探りながら運転した。

街灯や信号機のついていないところも多く、道中は暗く静かだった。

 

会館青膳の前から進み表町交差点手前で車を降りた。

まいまい姫の像の周りにたくさんの中学生がいる。ここだな。

先生らしき方に尋ねると

「ここはT塾です。N塾の子供たちは向こうの集団です」と教えくれた。

 

学年・クラス別に分かれて担任を中心にまとまっていた。

さすが中学生、全体的に落ち着いた雰囲気だった。

この段階で娘のクラスでまだ親が迎えに来ていなかった生徒は二人だった。

 

発災時、娘の教室の生徒たちは、自主的に机の下に潜ったそうだ。

指示に従い出口に近い教室から順番に屋外に避難した。

学校での避難訓練が少なからず活きていたのだろう。

 

娘と見附まで戻ったものの、家族四人で夜半まで空き地に止めた車中で過ごした。

長岡までの道中の様子から、勤務先の小千谷まで行こうとは思わなかった。

同僚の携帯への電話もつながらない。

 

翌朝、明るくなったのを待って、

いくらかの飲み物、食料と着替えを詰めて小千谷に出かけた。

 

【執筆】
前見附市立見附小学校長 前日本安全教育学会理事 松井謙太(第2話)